伊勢志摩と言えば、「伊勢神宮」という人も多いはずです。一生に一度は、お伊勢参りと言われるほど、江戸時代、日本人の6人に1人は、お参りに来ていたと言われているそうです。特に2013年に執り行われた「式年遷宮」の年の参拝客は、増加し多くの人々の群れで賑わうのだそうです。江戸の昔から、人々の信仰と憧れの的であった伊勢神宮は、天照大神を祀る「内宮」と、豊受大神を祀る「外宮」が中心となって、125の宮社があります。

天照大神は、太陽の神、豊受大神は、天照大神の食事を司り、衣食住の神とされています。伊勢神宮を訪れる人々は、おおよそ年間800万人と言われていて、江戸時代には、その様子を描いた浮世絵からも、その様子が伺い知る事ができます。2013年に執り行われた「式年遷宮」の年の参拝客は、約1200万人であったそうですから、2000年の超える歴史をもつ伊勢神宮は、まさに人々の聖地として呼ばれるのにふさわしい場所なのかもしれません。

江戸時代までは、参道に神職たちの住居や、参拝者用の宿が立ち並んだ跡もみつかります。20年に1度の周期で執り行われる伊勢神宮の神事「式年遷宮」は、約1300年前、天武天皇の発意によって始まりました。戦国時代には、130年ほどの中断をしなくてはならなかったが、その後、第二次世界大戦後の遷宮は4年遅れとなりましたが、安土桃山時代に再興され現代に至っています。

この「遷宮」とは、永遠を求めた伊勢神宮の姿そのものを表わしていると考えられていますが、その他には神宮独自の建築方式により、その構造上の問題で、20年が建築物の限界であるとも考えられています。次回の「式年遷宮」は、2033年です。地図作成の中では、伊勢神宮は大きな森となる木々に囲まれていますが、その森の木々も「式年遷宮」に大きく関わってきます。地図作成からみる「式年遷宮」は、人々の暮らしが未来永劫、豊かになるような願いと、その技術の伝承が繰り返される事で永遠を導いているようにも感じました。

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