主題図の発達史を見る上で、まずはフンボルトの功績について紹介することにしましょう。フンボルトは南アメリカを研究した大家ですが、研究の過程で植物分布と気温との関係を明らかにするため、いわゆる等温線図の開発に精を出しました。1817年にはその作成に成功したのですが、当該地図は現在に言うところの主題図の元祖であったと考えられています。
その後、フンボルトの功績を活かし、主題図のアトラス作成を試みる人も現れました。その代表的人物がベルクハウスでしょう。彼は「自然地図集」の作成者として高名ですが、その自然地図集こそ、最初のアトラスであったとされているのです。ただ主題図の発達史をより厳密に考えるならば、フンボルト以降の近代地図だけを取り上げるのは妥当ではないのかもしれません。というのも、近代以前の地図にも、主題図に繋がるような要素を持った地図は存在していたからです。何と古代にも既に存在したことが確認されており、それらの地図は一般図でありながら、同時に主題図でもありました。
例えば古代ローマにおいて作成されたポイティンガー地図などは、いわゆる道路図であり、主題図の性質を持っていると考えるのは適当でしょう。道路に特化した地図として、ローマ道路はもちろんのこと、帝国各地と繋がる主要道路を記載しています。非常に大きな地図で、長さは7mとされているので、見た目にも圧倒的な存在感を放つものだったことが窺えます。
こうした古い時代の主題図については、実は日本の地図の中にも存在することをご存知でしょうか。日本史の授業で誰もが目にした、あの「荘園図」がその代表例です。日本でも既に古代において、境界の重要性は認識されていたのでしょう、紛争に備えてこうした地図が作成されていました。用水の紛争等はたびたび生じていたので、荘園図はその解決に役立ちましたし、近世に入っても、村絵図や町絵図が荘園図と同様、大いに重宝されたのです。